大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和36年(オ)413号 判決 1964年6月24日

上告人

宇部生コンクリート工業株式会社

ほか一名

右上告人両名訴訟代理人弁護士

三宅厚三

被上告人

本間龍馬

ほか二名

右被上告人三名訴訟代理人弁護士

奥嶋庄治郎

主文

原判決中、得べかりし利益の損害賠償請求につき原審の認容した部分を破棄する。

右破棄にかかる部分について、本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。

上告人らのその余の上告を棄却する。

前項の部分に関する上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人三宅厚三の上告理由第一点について。

(一)  上告人らは、論旨一、において、総論的に、本件のごとく被害者が満八才の少年の場合には、将来何年生存し、何時からどのような職業につき、どの位の収入得、何才で妻を迎え、子供を何人もち、どのような生活を営むかは全然予想することができず、したがつて「将来得べかりし収入」も、「失うべかりし支出」も予想できないから、結局、「得べかりし利益」は算定不可能であると主張する。なるほど、不法行為により死亡した年少者につき、その者が将来得べかりし利益を喪失したことによる損害の額を算定することがきわめて困難であることは、これを認めなければならないが、算定困難の故をもつて、たやすくその賠償請求を否定し去ることは妥当なことではない。けだし、これを否定する場合における被害者側の救済は、主として、精神的損害の賠償請求、すなわち被害者本人の慰藉料(その相続性を肯定するとして)又は被害者の遺族の慰藉料(民法七一一条)の請求にこれを求めるほかはないこととなるが、慰藉料の額の算定については、諸般の事情がしんしやくされるとはいえ、これらの精神的損害の賠償のうちに被害者本人の財産的損害の賠償の趣旨をも含ませること自体に無理があるばかりでなく、その額の算定は、結局において、裁判所の自由な裁量にこれを委ねるほかはないのであるから、その額が低きに過ぎて被害者側の救済に不十分となり、高きに失して不法行為者に酷となるおそれをはらんでいることは否定しえないところである。したがつて、年少者死亡の場合における右消極的損害の賠償請求については、一般の場合に比し不正確さが伴うにしても、裁判所は、被害者側が提出するあらゆる証拠資料に基づき、経験則とその良識を十分に活用して、できうるかぎり蓋然性のある額を算出するよう努め、ことに右蓋然性に疑がもたれるときは、被害者側にとつて控え目な算定方法(たとえば、収入額につき疑があるときはその額を少な目に、支出額につき疑があるときはその額を多めに計算し、また遠い将来の収支の額に懸念があるときは算出の基礎たる期間を短縮する等の方法)を採用することにすれば、慰藉料制度に依存する場合に比較してより客観性のある額を算出することができ、被害者側の救済に資する反面、不法行為者に過当な責任を負わせることともならず、損失の公平な分担を窮極の目的とする損害賠償制度の理念にも副うのではないかと考えられる。要するに、問題は、事案毎に、その具体的事情に即応して解決されるべきであり、所論のごとく算定不可能として一概にその請求を排斥し去るべきではない。

(二)  よつて、以上の観点に立ちながら、進んで、上告人らが、論旨二、以下において各論的に、原判決の算定方法の違法を主張する諸点につき判断することとする。

(い)  上告人らは、まず、原審が、統計表に基づいて余命年数を求め、二〇才から五五才まで三五年間を稼働可能期間とし、国民の収入及び支出の平均又は標準を示すものとは認められない判示諸表によつて「得べかりし収入」と「失うべかりし支出」を想定して「得べかりし利益」を算出しているのは不合理であると主張する。

(イ)  稼働可能期間について。

しかしながら、原審は、本件被害者らは、本件事故当時満八才余の普通健康体を有する男子であること、判示統計表により同人らの通常の余命は五七年六月余であり、二〇才から少くとも五五才まで三五年間は稼働可能であることを認定しているのであり、右認定は、平均年令の一般的伸長、医学の進歩、衛生思想の普及という顕著な事実をも合せ考えれば、相当としてこれを肯認することができ、この点に所論のごとき不合理は認められない。

(ロ)  収入額について。

つぎに、原審は、本件被害者らは、右稼働可能期間中、毎年、判示証拠資料により認めうる昭和三三年四月から九月までのわが国における通常男子の一カ月の平均労働賃金二万六四八円、一年分にして二四万七七七六円の金額を下らない収入を得べきものと推認し、その年収額から後出の支出年額を控除した額を基準としてホフマン式計算方法による一時払いの損害額を算出しているのであるが、被害者らがいかなる職業につくか予測しえない本件のごとき場合においては、通常男子の平均労賃を算定の基準とすることは、将来の賃金ベースが現在より下らないということを前提にすれば、一応これを肯認しえないではないが、収入も一応安定した者につき、将来の昇給を度外視した控え目な計算方法を採用する場合とは異なり、本件のごとき年少者の場合においては、初任給は平均労賃よりも低い反面、次第に昇給するものであることを考えれば、三五年間を通じてその年収額を右平均労賃と同額とし、これを基準にホフマン式計算方法により一時払いの額を求めている原審の算出方法は、これを肯認するに足る別段の理由が明らかにされないかぎり、不合理というほかはないところ、原判決はこの点につきなんら説明するところがないので、少くとも右の点において原判決には理由不備の違法があるものといわなければならない。

(ハ)  支出額について。

(A) 原審は、本件被害者らの稼働可能期間中における毎年の生活費は、判示証拠資料により認めうる昭和三三年度における勤労者の平均世帯(世帯員数四・四六人)の実支出額一カ月三万六三八円、一人平均六八六九円、その一年分である八万二四二八円と同額と認めるのを相当としているところ、上告人らは、本件被害者らは何時結婚し、何人の子供をもち、いかなる生活を営むか不明であるばかりでなく、世帯主の生活費は他の世帯員のそれより多いことは経験則上顕著であるから、世帯の支出額を均分したものを世帯主と認められる被害者らの生活費とすることは不合理であると主張する。ところで、被害者らが独身で生活するという特別の事情が認められない本件のごとき場合においては、平均世帯を基準として被害者ら各自の生活費を算出すること自体は、一応これを肯認しえないではないが、原判決が首肯するに足る理由をなんら示すことなく、右三五年間を通じて被害者らの生活費が昭和三三年度の前示生活費と同額であるとしていること、及び前示世帯の支出額を世帯員数で均分したものが被害者ら(男子であり、世帯主となるものと推認される)の生活費であるとしているのは、理由不備の違法があるものといわなければならない。

(B) 上告人らは、さらに、論旨二の後段において、被害者らの収入からは、被害者本人の生活費のみならず、被害者らの負担すべき扶養家族の生活費をも控除すべきであると主張するが、収入から被害者本人の生活費を控除するのは、本人の生活費は、一応、収入を得るために必要な支出と認められるからであるが(収入を失うことによる損失と支出を免れたことによる利益の間には直接の関係がある)、扶養家族の生活費の支出と被害者本人の収入の間には右のごとき関係はなんら認められないのであるから、扶養家族の生活費の額は、収入額からこれを控除すべきではなく、この点に関する原判旨は、簡に失しているが、結論において正当であり、所論は採用し難い。

(C) 上告人らは、また、論旨三において、被害者らの得べかりし収入額から、稼働可能期間経過後(五五才より後)に被害者らが支出すべかりし生活費を控除すべきであると主張するが、右支出も前記収入と前述のごとき直接の関係に立つものでないばかりでなく、五五才を超えて無収入であるとはかぎらず、また、第三者による扶養もありうることであるから、その間の生活費を前記収入から当然に控除しなければならない理由はない(二〇才までの期間における生活費についても同様であり、上告人らも右生活費を右の意味において控除すべしとは主張していない)。この点に関する原判旨もまた簡に失しているが、結局において正当であり、所論は採用しえない。

(D) 上告人らは、さらに二〇才ないし五五才を基準として損害額を算定すれば、一才の幼児が死亡した場合と一八・九才の青年が死亡した場合とでは、その「得べかりし利益」は同額となり、二五・六才以上の成年が死亡した場合のそれは、一才の幼児が死亡した場合のそれより少額となつて不合理であると主張するが、所論は、ホフマン式計算方法を度外視し、かつ、稼働可能期間の長短を忘れた議論であり、採用のかぎりでない。

(E) 上告人らは、また、論旨三において、本件損害賠償請求権を相続した被上告人らは、他面において、被害者らの死亡により、その扶養義務者として当然に支出すべかりし二〇才までの扶養費の支出を免れて利得しているから、損益相殺の理により、賠償額から右扶養費の額を控除すべきであると主張するが、損益相殺により差引かれるべき利得は、被害者本人に生じたものでなければならないと解されるところ、本件賠償請求権は被害者ら本人について発生したものであり、所論のごとき利得は被害者本人に生じたものでないことが明らかであるから、本件賠償額からこれを控除すべきいわれはない。所論は、採用に価しない。

(ろ)  なお、上告人らは、論旨四において、原判決のホフマン式計算方法の適用の誤りを主張するが、不法行為による損害賠償の額は、不法行為時を基準として算定するのを本則とするのであるから、原審が、ホフマン式計算方法を適用するについて本件事故の時を基準とし、その時における一時払いの額を算出したのは正当である。所論は、ひつきよう、独自の見解の下に原判決を非難するものであり、採用のかぎりでない。

(三)  以上、要するに、本訴請求中、得べかりし利益の喪失による損害の賠償を求める部分については、原判決に少くとも前示のごとき諸点につき理由不備の違法があることが明らかであり、所論は、結局において理由があるので、原判決は、右限度において破棄を免れない。

同第二点について。

上告人らは、原判決が損害額を算定するにつき、被上告人らの監督義務者としての過失をしんしやくしなかつたのは違法であると主張するが、原審認定の事実関係の下においては、被上告人らに監督上の過失が認められないとした原審の判断は、これを肯認しえないではない。所論は、ひつきよう、原審の認定しない事実に基づき又は独自の見解の下に、原判決を論難するに過ぎないものであり、採用し難い。

よつて、民訴四〇七条、三九六条、三八四条、九五条、九三条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官横田正俊 裁判官石坂修一 五鬼上堅磐 柏原語六 田中二郎)

上告代理人三宅厚三の上告理由

第一点、原判決は民法第七〇九条に違背して上告人等に対し不当に損害賠償を命じたものである。

原判決は、その理由第四項の(一)に於て被害者久夫等は本件事故に因り死亡したため「得べかりし利益」各金二四七万〇九〇〇円余を失つて損害を受けたものと判示して、過失相殺及び相続の各規定を適用したる上、上告人等に対しその支払を命じているものであるが右は民法第七〇九条に違背して損害賠償を命じたものであるからその理由を次に詳述する。

一、およそ、本件の如く事故に因つて死亡した被害者につき、もし事故がなく生存していたものと仮想して所謂将来「得べかりし利益」を算定しようとする場合について考えて見ると、被害者が死亡当時現実に一定の職業に就き一定の収入を得ていた場合にはその後の収入、生活費等の支出及び生活状態が、ある程度の確からしさ(蓋然性)を以て予想されるからその将来「得べかりし利益」がある程度の確からしさ(蓋然性)を以て算定できるけれども、本件の如く被害者が満八才の少年の場合には将来何年間生存することができるか、成長していつ頃からどんな職業についてどの位の収入を得て、どのような生活を営むであろうか等と言うことは全然予想すらできない処であり且人間は相当の年令に達すれば、心然的に妻を迎え、子供を持つて家庭を構え世帯主としてその収入で妻子等の家族を扶養しながら社会生活を営んで一生を終るのが通常であつて、極めて例外的な稀有な場合を除いては、一人だけで生活し収入を得て一人だけの生活費等を支出して一生を終るものではないのであるが、被害者等が生存していた場合に何才で妻を迎え、子供を何人持つてどのような生活を営むであろうか、等と言うことも亦全然予想できない処である。

而して所謂将来「得べかりし利益」は被害者が生存を続けた場合を予想してその「得べかりし収入」から「失うべかりし支出」を控除して算定するものであるが本件の場合に於ては将来の「得べかりし収入」及び「失うべかりし支出」は全然予想できないから結局「得べかりし利益」は算定不可能である従つて本件につき第一審判決が「得べかりし利益」を算定することは適当でないと判示して上告人等に対して賠償を命じなかつたことは正に当を得たものである。

二、本件につき「得べかりし利益」は前項記載の如く算定が不可能であるのに拘らず原判決は強いて之を算定しようとして統計表に基いて余命年数を求め、二十才から五十五才迄の三十五年間を稼働可能期間と定め、通常男子の平均労働賃金表及び全都市勤労者世帯収支表(これ等の統計表が国民の収入及び支出の平均若しくは標準を示すものでないことは乙第六号証に依つて明白である)に依つて「得べかりし収入」及び「失うべかりし支出」を想定して得べかりし利益を算定しているが、その算定方法が根本から不合理且不当であることは勿論である。

然しながら一応原判決に敬意を表し右の如き算定方法が許されるものと仮定しても原判決の算定は極めて不合理的で非論理的な不当なものであるから次にその理由を詳述する。

そもそも、「得べかりし利益」と言うものは、被害者が実際には死亡したのであるが、もし死亡しないで生存を続けていた場合を予想してその「得べかりし総収入」から「失うべかりし総支出」を控除して算定するものであるからその「得べかりし総収入」及び「失うべかりし総支出」を想定するに際してはあくまで冷静に、合理的、論理的に且適確になすべきことは当然である尚「得べかりし総収入」から「失うべかりし総支出」を控除すべきものであるから所謂余命期間の全部に亘つてその控除をなすべきことも亦当然である。仍て余命期間の全期間に亘る収入及び支出について考えて見ると

(一) 被害者が死亡した八才から二十才迄の十二年間(原判決に所謂稼働可能前の期間である)は被害者本人の収入及び支出は無いけれども扶養義務者である被上告人から扶養を受けられるからその扶養費が即ち被害者の「得べかりし収入」に該当することになるが、之は同時に被害者の生活費等として支出されるので結局相殺されて残額は無い。

(二) 二十才から五十五才迄の三十五年間の稼働可能期間内は被害者の稼働に依る「得べかりし収入」があり且被害者の「失うべかりし支出」がある但し右の収入及び支出が如何なるものを指称すべきであるか、と言うことは後に述べる。

(三) 五十五才から後の余命期間(稼働可能後の期間である)十年六月は収入はなく、その生活費等が「失うべかりし支出」になるのである。

従つて右の「得べかりし総収入」から「失うべかりし総支出」を控除したものが所謂「得べかりし利益」に該当する訳である。

次に被害者が生存を続けていれば右稼働可能期間内は当然世帯主として生活することが予想されるからその「得べかりし収入」、「失うべかりし支出」について論理的に且合理的に考えて見ると次の様になる。

即ち世帯主は妻子等の家族と共同生活を営み、その協力を得て稼働しその収入を以て妻子等家族を扶養しながら社会生活を営むのが常態であるから世帯主の収入と言つても妻子等家族の協力の結果であるから世帯主本人だけの収入と認めるべきでなく、支出についても世帯主は当然妻子等家族を扶養しその生活費を負担しているので妻子等家族の生活費等の支出は世帯主に取つて必要不可欠の支出である。従つて被害者の将来の「失うべかりし支出」は単に被害者本人のみの支出だけでなく妻子等家族の生活費等をも必然的に包含させなければならないものである。

又世帯に於ける支出についても経験則上世帯主の支出が他の世帯員の支出より多額であり、且世帯の支出額が世帯員数に正比例するものでないことは顕著であるから原判決の如く世帯の支出額を世帯員数で割つた一人当りの平均額を以て被害者の「失うべかりし支出額」と認めることは極めて不合理、不当である。

而して本件に於ては被害者が八才の少年であるからその「持つべかりし家族の員数」等は全然予想できないから結局「得べかりし利益」を算定することは不可能である。

三、仮にもし百歩を譲つて原判決の判示した処に従い被害者の「得べかりし収入」から被害者本人のみの「失うべかりし支出」だけを控除したものが「得べかりし利益」に該当するものであると仮定しても、五十五才以後の稼働可能後の被害者本人の「失うべかりし支出」を当然控除しなければならないことは明白であり且又被害者の「得べかりし利益」を失つたことに因る損害賠償請求権を相続した被上告人等は一面被害者の死亡に因り当然「支出すべかりし二十才迄の稼働可能前の被害者に対する扶養費の支出」を免れているから損益相殺Compensatio lacri Cumdamnoの法理に依り之も当然控除しなければならないことは明白である。

然るに原判決は之等の控除をしないで単に稼働可能期間内の「得べかりし収入」から同期間内のみの「失うべかりし支出」だけを控除した額を以て「得べかりし利益」であると算定しているから不合理で不当である。

尚、原判決の見解に従つて「得べかりし利益」が単に稼働可能期間内の「得べかりし収入」から同期間内の「失うべかりし支出」のみを控除したものであると、解するものとすれば、一才の幼児の死亡した場合と、未だ職業、収入のない十八才、九才の青年の死亡した場合に於ける「得べかりし利益」が全く同額になり、更に未だ職業、収入のない二十五、六才或はそれ以上の成人が死亡した場合に於ける「得べかりし利益」は、一才の幼児が死亡した場合の「得べかりし利益」より却つて少額になると言う誠に不合理的、不当な結論になるのでその誤つた見解であることは敢えて多言を要しない。

四、原判決は右の他にも損害額算定の法則を誤つたものである。

即ち「得べかりし利益」を失つたものとしてその賠償につき一時に支払を命ずる場合には判決当時に於ける額を算定すべきものであることは大審院昭和十四年(ネ)第一八三六号昭和十五年八月七日民事第三部言渡の判決に示すところである。

本件被害者は、昭和二十五年七月と同年八月の出生であるから稼働可能期間は昭和四十五年七、八月以降三十五年間となるので昭和四十五年七、八月に至つて始めて「得べかりし収入」が始まりその後三十五年間継続すると予想されるものであるから先づ昭和四十五年七、八月当時に於て一時に支払を命ずべき額を算定して、その額から更に判決当時の昭和三十六年一月より昭和四十五年七、八月迄の法定利率に依る中間利息を控除して判決当時を基準とする額を算定して一時に支払を命ずべきであるのに拘らず原判決(主文記載の損害金の起算日から本件事故の日を基準としたようにも推定されるが原判決が算定した金二四七万〇九〇〇円はいつを基準として算定したものか計数上判明しない)は右の算定方法に依る額と異る額を算定しているから損害額算定の法則を誤つた不当なものである。

第一点、原判決は民法第七百二十二条第二項の過失相殺の規定に違背したものである。

原判決はその理由第二項に於て被害者等の監護義務者である被上告人等が平素被害者等に対し自転車乗用については慎重に注意を払うよう訓戒していたとの供述(その供述は何等の裏づけもないたやすく信用できない供述である)及び事故当日被害者等が自転車に二人乗りして外出することを目撃していなかつた事実より被上告人等に監護義務者としての注意義務のかい怠がなかつたものと認定して民法第七百二十二条二項の規定の適用をしていないのは違法である。

即ち本件事故現場附近は原判決も認めている如く名古屋市内でも有数の繁華街で、相当の交通量があつて自転車に乗つて通過するには周到なる注意を払うべき場所であり且被害者等の自宅から相当隔つているから被害者等が同場所に向つて外出する際には監護義務者たる者は自転車で行くか、電車で行くか等を確かめ十分な訓戒を加えるべき注意義務があるのに拘らず之を怠り、自転車に二人乗りして外出することを目撃しなかつた等と言うことは監護義務者としての注意義務を果したものと認め難く、更に被害者等がかかる危険な場所を自転車に二人乗りして不注意にも漫然通過しようとしたこと自体が被上告人が平素注意義務を果していないことを十分示すものであるのみならず、被害者久夫の自転車が破損しているため被害者邦夫の自転車に屡々二人乗りしていることを知りながら自転車を修繕して与えなかつた事実等から考えれば被上告人等が監護義務者としての注意義務を果さなかつた過失が十分認められ、該過失に依り本件事故を発生させたものと認められるから民法第七百二十二条第二項の適用に依り被上告人等の請求する慰藉料(原判決は単に被害者自身の過失を斟酌したに過ぎない)及び葬式費用につき被上告人等の過失に基く相殺をなさなかつた原判決は違法である。

尚被上告人等は「得べかりし利益」の喪失に因る損害賠償請求権を相続したものであると認定する場合に於ては、この損害についても公平の観念から被上告人等の右過失に依る民法第七百二十二条第二項の過失相殺の規定を適用すべきであるのに拘らず之を適用しなかつた原判決はこの点に関しても違法であると言はなければならない。

以上の諸点に依り原判決は当然破毀せらるべきものであるから上告申立をなした次第であります。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例